表現するということ
何かを表現するということは、自分自身の、今いるところを表すということのように思います。
どんなことに感動しているのか、どんな方々に会っているのか、どんなものを、どんな食べ方をしているのか、どんなものを欲しいと思っているのか、などなど・・・・・今ある自分がそこにあらわれてきます。どんなに気取ってみても、どんなに自分を高く見せようと思ってみても、作ったものは、その人を表します。
このことを実感したとき、私は、自分を良い方向へ育てていくことこそ、精進の道だと思いました。技術を高め、素晴らしい作品を生み出そうと努力しても、他からの評価とか、欲とかにとらわれていては、どうしても良いものは作れないと思うのです。
職人気質というものに私がひかれるのは、他からの評価とか、値段を高くするためとか、そういうものにとらわれず、ただただ、自分が納得できる良いものを作ろうという真摯な日々の努力を惜しまない姿に感動するからなのです。
その真摯な姿は、まさに自分を育てる精神につながります。ものを作るということは、そういう意味で、まさに自分が試されるということのように思います。
その良いものという定義ですが、私は必ずしも、コンクールで評価されるものではないと思っています。むしろそういう他からの評価にこだわって、物づくりをしていくと、本当に良いものから遠ざかる危険性があると思います。
良いものとは、落ちついて、優しい心で、楽しい気持ちで、他からの評価を気にせず、心を込めて作った時に生まれるのではないかと思っています。
目を閉じて、今聞こえる音に耳を傾ける。そんな時間を私たちはなかなか持てません。
流れゆく空の雲を、なにも考えずただみつめている、暮れなずむ夕暮れ時を、夕方の心地よいかぜを感じながらその時を楽しむ、・・・・・私たちの周りにはそんな素敵な「時」がたくさん流れています。
忙しく過ぎる日常の中に時折、非日常の「上質の時」を私は持ちたいと思っています。
私はよく魚野川沿いの散歩道を歩きます。その道は365度、山に囲まれています。
遠くに、八海山、駒ヶ岳、中の岳、権現、などの高い山々、そして近くには里山が見えます。里山の裾野には水田が広がり、早苗の時期には、空と山々が水田に映り、それはきれいです。夕暮れ時には空が夕焼けに染まり、水田も夕焼けに染まります。
人格を高めることも、自分を育てる大切な要素ですが、素晴らしい自然の中に身を置くということもまた、自分を育てる大切な要素になると思います。
今回の「苔だま教室」を、私はとても楽しみにしていました。ひと葉先生に教わりながら、ちいさな自然の世界を作ってみたいと思っています。私に今できる世界をです。
今回ご一緒できる皆様との出会いもまた楽しみにしています。
持っていくお皿も焼きあがりました。写真がなかなか撮れなくてアップできませんが、そのうちに店番に撮ってもらおうと思っています。
以前にもご案内いたしましたが、間もなく(23日)南魚沼市長森の八蔵資料館で苔玉教室が開かれます。
お皿を焼いている時にアクシデントがありましたが、そのことについては、また今度書こうと思っています(^O^)/。